●はじめに●


 この世に生命(いのち)が誕生し、長い時の流れを経て、いま私達が生きている。生命は、その流れの中でさまざまな欲求を生み、それを満たそうとして争い、争いの回避と解決から学びを覚え、その学びは個人の集合につながり、やがて、その集合を個として集団が生まれた。ところが個である集合の欲求は、集合同士の新たな争いを招き、集合内に仲裁や安寧秩序を求める声が高まり、政(まつりごと)が生まれた。政は、当初、単に神や祖先を敬う祭りに過ぎなかった。だが、その内に集団のきまり(規則)やおきて(禁令)を定める政務へと姿を変え、程なく政を司る祭祀権者が現れ、集団のリーダーとして采配を振うようになった。生命の持つ欲求に絡む争いに端を発し、個人が集合し集団となり、集団がさらに大きな集団へと発展し、やがて異なる集団が住む地域の境に線が引かれ、領土を有する国が生まれた。それに伴い、政は多様化し、政事を司る組織ができ、政は統治へと、その様相を変えていった(図1)。


 本来、政(まつりごと)の根源である個人の生命の誕生、育み、終焉といった、忘れてはならない生命の存在も時の流れとともに影を潜めていった。そして多くの史実も、個人の生命の存在を葬り去った支配者の政事が、社会を荒廃させ崩壊へと導く結末を示している。だからこそ、社会的秩序の維持や形成には生命の存在と、生の意味を知り、その自覚に基づく人の尊厳性を政事の根源とする社会的同意が必要となる。その為には先ず動物とは異なる人の生命の意味を学ぼうとすることへの社会的醸成が求められ、これを支援し推進する事が政の源流となる。 21世紀の我が国が抱える少子高齢化に伴う人口問題は、国の歴史や文化さえも失いかねない憂慮すべき深刻な事態を抱え、私達の前に立ち塞がっている。過去の政の失策と一言では片付けられない不可避の問題である。そもそも、この人口問題は太平洋戦争の敗戦に端を発している。戦後の政事は、国ばかりか、国民一人ひとりの心までも荒廃させた。うわべだけの復興の目覚しさとは裏腹に、国民は衣食住を満たすためだけに働き、生きることの目的や人間として存在することの意味を忘れ、やがて、歴史の流れの中で、こういった人々が多くを占めるに至った。政事は、ひたすら戦後の処理と復興に追われ、人心の荒廃に気付かぬまま、生命を原点とする精神的、倫理的啓発をおざなりにし、今日を迎えた。政事の源流の一角をなす教育さえも、生の存在の意味を教え育てる事を怠り、生きていく術(すべ)としての知識を教えることに終始してきた。事ここに至り、生の存在を改めて国民に問いかけることは、国を医すための社会的急務であり、政事の源流に立ち戻ることにつながる。 我が国の現状に鑑み、政事の源流を取り戻すに必要な策を講じる時、幾つかの条件を備えた既存の制度を視野の内に入れて検討する事が望ましい。即ち、既に広く社会へ浸透している制度で、再構築も容易、そして目的を果たすに足る仕組みを有し、制度に関わる優れた人材を擁し、制度の仕組みは分り易く、見直しへの社会的同意も得やすい等である。これらを満たすとすれば、教育、警察、司法、税務、医療、雇用等の各制度が挙げられるが、制度自体の性格や、生命(いのち)に関る問題に馴染むか否かを考えると、やはり医療制度をおいて他には無い。幸いにも、我が国の医療制度は、先の戦争以降、現在まで円滑に運用されている。その結果、世界一高い平均寿命と、世界一低い乳児死亡率を誇る世界に冠たる制度となった。国民皆保険は、保険証一枚で何時でも、何処ででも、誰もが医療サービスを享受できることを、また現物給付は誰もが一定の負担で医療を受けられることを、そしてフリーアクセスは何時でも、何処ででも希望する医療機関に懸れることを夫々可能にした。従い、医療保険制度と医療提供体制の一部改定は、国民の生への自覚を促がし、自立、自助、互助の芽生えを誘い、延いては政事の忘れた部分を取り戻し国を医すかも知れない。しかし先ずは現行制度に組み込まれる策の如何に懸かっている。本稿では、こういった立場に立って立案された医療制度について提示したい。 

●国を医する医療制度●


 現在、我が国の最も深刻な懸案事項である少子高齢化と、それに伴う人口問題に関連して、最近の世相に見られる若人の実態を素直に受け止めるとすれば、それだけで原因が見えてきそうである。警察庁が纏めた平成12年度の家出人数は97,268 人、前年の約1割増と年々増加している。年代別には20〜29歳が190,547人と最も多く、次いで15 〜19才、そして30〜39才と続く。以前は青春期における心の病(やまい)のようなものであったが、最近では高年齢化が一つの特徴となり、理由も仕事や生活苦からの逃避が増えて、年間13,159人に達している。もともと人付き合いも下手、職場での仕事に耐えられない、結婚してもうまくいかない、努力も我慢も駄目、束縛は嫌だ、自分のしたい事だけに時間をつかいたい、といった我が侭で自己本位の未熟な性格を持つ家出人の姿が見えてくる。家出人に代表される、或る一連の人々の増加は、最近の我が国の犯罪、家庭内暴力、小児虐待、学校での苛め、教師への暴力、晩婚化や離婚、パラサイトシングル、失業といった社会問題に繋がり、水面下には計り知れない数の同様な人達が蠢いていることも想像に難くない。

 2007年に我が国の総人口はピークを迎え、以後は減少し2050年には現在の2割減の1億50万人と予測され、高齢化も65才以上が約3人に1人を占めると言われている。いずれにせよ此のまま時が流れれば、人口の減少と少子高齢化の進展は避け難く、国の存続も危うい。この危機的な事態に直面しても、なお今を生きる国民の多くは、自らの生活のみを考え安穏な日々を過ごしている。失業増加を物ともせず、何時かは誰かを当てにして生きているホームレスやフリーターの増加も、本を正せば誤った政事の結末かもしれない。この世相を改めることは社会的急務であり、これこそが国を医することに繋がる。忘れられた政事の源流に立ち返り、即効性のある策を模索する過程で、未だかってない広がりをもって沸き起こっている医療制度の改革論議は、解決の糸口となる可能性と同時に、大きな疑問を国民に投げかけている。つまり政事は誰がために在るのかという素朴な問いである。医療制度改革の行方は将来的な国の姿勢を推し量る上で重要な目安となっている。昨今の財政主導の医療改革論議は何れも国の逼迫した財政問題に端を発した小手先の見直しや他国の模倣に終始している。平成13年6月に経済財政諮問会議が出した今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針に示された医療サービス効率化プログラム(仮称)は小手先や模倣の極みである。医療関係者を蚊帳の外におき、経済学者が主となり纏めた医療改革案は、医療を単なる“もの”として扱うばかりか、その扱いは他国に倣い、病める人を人として認めず、生命の存在さえも金銭に置き換えて扱おうとする劣悪なものである。更に、この改革案は、我が国が世界に誇ってきた現物給付方式やフリーアクセスを失うばかりか、国民の医療負担を増そうとする改革でもある。国民が生きる上で不可欠な医療制度を不実なものに導けば、国への不信となり跳ね返ってくる。政の源流からは遥かに遠いものである。財政至上の医療改革論議に終止符を打つべきとの考え方が強く支持される所以である。一方最近の論議における特徴は、医療の実態を知らない人達が論議の中心に座を占めていることである。果して、その人達は現実に自分や、自分の家族が重い病に罹った時、自らが起案した医療に全幅の信頼をおくことができるのであろうか。甚だ疑問である。さらに最近の医療改革論議におけるもう1つの特徴は、肝心の医療現場からの声が全くと言って良いほど聞こえてこないという点である。国民と国民医療について議論する医師の声が小さいのか、或いは姿勢そのものに問題があるのだろうか。唯、医師が善意に基づいて国民医療の在り方について何事かを語ろうとしても素直に受けとめてもらえない風潮が存することも事実である。国を医するには、人を医することを熟知した者が集い、世に求められる制度について思案し、その整備に向うことが肝要である(表1、表2、表3)。








●制度の概要●


 本医療制度は、医療の現場を通して、様々な患者さんやその家族と接しながら、国民にも、医療提供者にも、また国にとっても望ましい将来像を求めて思案した結果であり、わが国の現在までの医療制度の上に成立し、かつ実態に沿い、さらに国を医すことを最大の目的としたものである。本制度を考えるにあたり、次の4点に留意した。@ わが国が世界に誇れる国民皆保険制度や現物給付、医療機関へのフリーアクセスをはじめ、数多くの利点を持つ現行の医療保険制度と医療提供体制を最大限尊重すること。A 急激な高齢化に伴い増加が見込まれる医療費を今後とも現行水準で維持すること。B 医療機関の機能分担と情報公開を推進し、医療における官(官に準ずるも含む)と民の較差を撤廃し、医療提供に市場原理を導入すること。C 制度を最大限に簡素化し、医療保険制度や医療提供体制の中身を見え易くし、国民の制度に対する永続的な信頼を得られ易くすること。 制度の概要を図2および表5に示す。


改革議論において、多くの場合“改革”を云々するあまり、現行制度の持つ数多くの長所が視界から消えてしまうという危険性があるが、本制度では、現行制国を医する医療制度とは 国民一人一人が、生きること(自存)、生きていること(自生)、生かされていること(存在)の意味を学べる制度である事。    自らの成長に係りのある物や人への感謝(有り難く感じて謝意をあらわす)の念が育まれる制度であること。  自らが健康に長生きをしようと思う心が育まれる制度である事。    国民一人一人が、自分のあり方をわきまえ(自覚)、自己のみならず家族や周囲の他人を思い遣り(自助、互助)、自らの力で身を立てる(自立)ことを学べる制度である事。   社会(世)のために善い行いをしたいと思う心が育まれる制度である事。   自らの言動における私利私欲と、見返りを求めない心が学べる制度である事。 自らと、自らの家族や同朋、そして同じ時代を生きる全ての人のことを想い、何かをしようとする心が育まれる制度である事。 人が育つことにより、おのずから人も国も発展するような制度である事。(表5) (図2)7 度の欠点をあげつらうことによるのではなく、現行制度の良い面を最大限尊重することを基本にしつつ、国家財政の逼迫や少子・高齢化社会の到来という現実を踏まえて医療提供体制を再構築するというスタンスをとった。そこで、人口の高齢化が進む中にあっても、国民医療費の総枠を現状の水準にとどめ、かつ国民医療の水準を維持、向上させようとすれば、医療の提供に市場原理を導入することが最善の方法である。そして市場原理の導入にあたっては、医療提供側が、提供しようとする医療行為の選択に最大限の自由裁量権を持つこと、国民にとっては自由に医療機関を選択できるフリーアクセスが前提となる。また、両者の間に対等のパートナーとしての関係をつくり出すには、医療機関側の情報公開推進が不可欠である。こうして国民の医療に対するかかわり方は、より意識的、自覚的となろうし、診療サイドから見れば、第三者が財政的な理由によって医療そのものに介入して様々な制約を加えるということが無くなり、医師はプロフェショナルフリーダムを侵されることなく診療に臨むことができる。「医療」を接点に、当事者である医師と患者が直接向き合うことこそ、医療の本来あるべき姿というものであろう。

●医療提供体制●


 本試案による医療提供体制の要となるのは、特定機能病院、救命救急センター、地域医療支援病院も含めた各医療機関(病院、診療所を問わず) が、それぞれの適性を鑑みて、健康管理医療機関か、専門医療機関かのいずれかを選択するというものである。(図3)

 健康管理医療機関は、各世帯単位の健康管理、慢性疾患の医学的管理をはじめ、健康維持、増進についての助言、医療行為、啓発活動などを行う医療機関であって、各世帯の世帯主との契約に基づいて各種の医療サービスを提供する。そして専門医療機関への紹介が必要と思われる事態が発生した時は、責任を持って専門医療機関への紹介を行い、その他にも福祉サービスの紹介なども行う。一方、各世帯では、世帯主を中心に話し合い、1 つの健康管理医療機関を選択し、世帯主が当該医療機関の長と契約を交わすことになるが、世帯主は、世帯員の同意のもとに、月単位で契約を変更することができる。 従来の医療保険制度も診療報酬体系も急性期医療を中心に構築され、もちろんそれなりに大きな成果を上げてきた。ただし、急性期を脱した後のケアについては身体的にも、精神的にも十分な配慮がなされてきたとはいえず、このケアが十分に行われないために、「寝たきり」や、現役社会からの離脱を生じたりすることもあった。特に高齢化が進む中では、老後の生活の質をできるだけ若年時代に近い水準、つまり健康長寿を目指して如何(図3) 8に維持していくかが大きな課題となる。健康管理医療機関の創設はまさにこれに応えようとするものである。現行のシステムの下では、患者サイドからすれば症状が出てから医療機関にかかるのが一般的であり、このため症状の出ない早期の癌や、肝疾患、あるいは生活習慣病などへの対応はおのずと遅れがちとなる。こういった点についても健康管理医療機関は、将来的に重篤な症状に陥ることを予め回避しようとする役割を果たすものであり、病気の重篤化を予防することは、医療費増加の最大の要因でもある長期入院や侵襲度の高い治療を減らすことにつながる。と同時に本制度の一番の目的でもある、生命への自覚をもとにした自立、自助、互助の精神により、ターミナルケア等にかかる医療費も縮減される。人口の高齢化と疾病構造の変化に対応した医療提供体制の礎(いしずえ)が、この健康管理医療機関である。健康管理としての「保健」と医学的管理としての「医療」を一体化させ、長期的かつ定期的に、また特定の臓器や疾患のみを対象とせず、疾患の背景をしっかりと捉えて全人的な診療を行うことが、これからの少子・高齢化社会のあらゆる年代層において必要となる。癌、肝炎、慢性胃炎、糖尿病、高脂血症など、世帯環境や家族性を持つ疾患の管理はいうに及ばず、今後急増するであろう高齢者介護や臓器移植にかかわる脳死判定の問題にしても、家族要因は極めて重要なものである。患者さんが帰属する家族、学校や職場、地域、文化、歴史といった重層的な関係性の中に患者さんを位置づけ、患者さん自身をその全体性において理解しようとする医療の実践こそ健康管理医療機関に求められ、このためには契約対象を個人ではなく、世帯とすることが望ましい。また、世帯単位の契約としたもう一つの理由は、求心力を失いつつある「家族」の絆をもう一度見つめ直そうとの思いもある。生命の誕生、育みの中での健康、病気、終焉に近づく老後、そして誰もがいつかは必ず迎える死に際して、死に至るまでのプロセスを家族全体で考え話し合う場を持つことは、少子・高齢化社会では特に大切なことであり、これこそ、生命(いのち) を自覚し、国を医すに繋がる制度の役割を果たすものである。 

 健康管理医という名称は、我が国の医師の開業までの経緯を考える上で、もっとも妥当な呼称である。家庭医という名称は、第三者が各家庭に医師を割り振るといった意味合いも含まれ、本制度の目的の1つでもある市場原理の導入からは最も遠いものである。本制度の趣旨としては、健康管理医療機関数も、専門医療機関数も、医師数も、第三者による調整は無しとし、もっぱら国民のニーズと、国民の評価にこれらの調整を委ねている。また、かかりつけ医という名称を用いない理由に関しては、健康管理医の呼称の持つ意味のなかに、自らが提供しようとする医療の守備範囲について、医師の持つ自由裁量権を最大限認めさせたいという意図があったからであり、今日の改革論議に顔を出している「かかりつけ医」は専ら医療提供体制全体の末端へ位置づけられ、カゼや軽いケガの治療などカネと手間のかからない医療や、いわゆる出前医療のみ行えばよいとする考え方が見え隠れしている。しかしながら、こういった捉え方は我が国の個人開業医の実態を踏まえているとはいえない。なぜなら日本の開業医の多くは大学や大病院で長らく研鑚を積み、技術、学識の両面で高度の専門性を習得した上で、地域医療に対する意欲と情熱を持って独立して行く仕組みとなっているからである。そして現に、歴史的にも地域医療において多大な貢献を果たしてきた。こういった点を見過ごして医療提供体制を再構築しようとすれば、地域医療は大きく後退することになる。世間ではベンチャービジネスの時代を迎えているというのに、医師だけは各々が持つ独自の技術や見識、経験を地域社会のために生かそうとすることを許されず、時代に逆行する計画経済的なビジョンに従属しなければならないのはあまりにも理不尽ではあるまいか。それぞれの健康管理医が、自らの医療理念に基づいて、各々の契約世帯にふさわしい多種多様な医療行為を提供するために創意工夫をこらせるような余地を残しておくことは、市場原理導入の基本的条件であるのみならず、地域医療の水準を向上させる上でも大きな要因となることはあえて指摘するまでもないだろう。

 医療機関が、自らの医療の方向として専門医療機関を選択するか否かは、当該医療機関の開設者の判断に委ねられる。標榜科目も、医療法第70条第1項に規定する政令により定められる診療科目であれば幾つ揚げても構わない。また、学会認定医・専門医を絶対的要件とするか否かについては、9 医療現場においては周知の事であるが、絶対的要件には成り得ない現実が存在している。本制度の趣旨である、医療の評価を第一として競う以上、現時点で要件に加える事は必ずしも望ましくない。健康管理医療機関が「お世話」を提供するという面が主となるのに対して、専門医療機関においては、文字通り当該医療機関の持つ技術力が鍵となり、急性期医療、高度医療の主たる担い手としての役割が求められよう。選択の判断にあたっては、専門医療機関が、もっぱら健康管理医療機関からの紹介によって医療提供の機会を与えられる完全紹介制の医療機関であるという点が、経済基盤の安定性確保の上で一考を要すところであるが、これも健康管理医療機関から選ばれる医療機関となる為の競合の過程と受け止めるべきである。将来、大病院が、専門医療機関から健康管理医療機関へ、また診療所が健康管理医療機関から専門医療機関に変更することがあっても良いのではなかろうか。本制度では、各医療機関の開設者が健康管理あるいは専門医療機関のいずれかを選択し、当該医療機関所在地の都道府県知事に届け出る。この届け出は1年を持って更新し、変更も可である。また、各医療機関は届出区分の事実と提供する医療行為の内容や範囲について、所属する地区医師会、都道府県医師会、日本医師会、また医療機関所在地の管轄保健所(保健センター)と区・市役所または町村役場および都道府県庁に対して情報提供を行い、国民が自由にこれらの情報を閲覧できるようにする。

●医療保険制度●


 医療険制度は、現行の年金制度に倣って、二層構造の医療保険制度を提案する。二層構造は、1 階部分を健康管理保険(「健康管理」医療機関に対応)、2階部分を専門医療保険(特定機能病院、救命救急センター、地域医療支援病院を含む専門医療機関)とする(図4)。 

 2階部分の専門医療保険は基本的には急性期医療と高度医療に対応するものであって(療養型病床群は原則として介護保険の対象)、従来からの国保、被用者保険に基づく保険制度に準ずる。年金でいえば基礎年金に相当する1階の健康管理保険は、保険者を都道府県単位とし、都道府県知事が住民票上の世帯を単位として、世帯主から世帯員の数に応じた保険料を徴収することとし、被用者保険の場合の事業主負担や国保の場合の国や地方自治体の負担はないものとする。そして全世帯に加入が義務づけられる。ただし、低所得世帯については、保険料減免制度の適用や福祉の対象とし、例えば生活保護世帯については、単給または併給により保険料を充当する。国民の健康管理医療機関窓口での自己負担はない。
 診療報酬体系も医療提供体制を大きく二分するに伴い、それぞれ異なる体系となる。 専門医療機関の診療報酬については、基本的には専門職群の技術料を重視した支払い体系とし原則「出来高払い制」、これに対して健康管理医療機関の診療報酬は1世帯の月次レセプト1件につき世帯の世帯員数に応じた「定額払い制」とする。従って健康管理医療機関と契約を交わした世帯の世帯主が支払う保険料が直接、健康管理医療機関への診療報酬となる。これにより各世帯は、各々の健康管理医療機関の医療サービスを通じて、自分たちの納付した保険料がどのような形で還元されるのかを見定めることができるようになる。それに対して、健康管理医療機関側は、契約した世帯の支払った保険料を事実上、預かる形となり、その総額をいかに適正に配分して、世帯の世帯員1人ひとりにふさわしい保健や医療のサービスを提供できるかが医業の成否を決することになろう。(図5)

●本制度における経済的試算●


 平成11年度の国民医療費は前年の29兆8251億円を上回り、総額で30兆9337億円と、3.7%の増加であった。従い国民医療費を30兆円として試算を行った。本保険制度では、試算の前提となる世帯数を4741万9905、従来の国保、被用者保険の仕組みを準用した専門医療保険の保険料は、平成11年度の財源別国民医療費の構成割合を準用して、国・地方自治体と事業主の負担割合を65%、国民の負担割合を35%とした。ただし、健康管理医療機関の紹介によって専門医療機関を受診した場合、かかった医療費の2割を自己負担とした。上記の割合で保険料負担額を試算すると、国・地方自治体と事業主・国民の負担額は図4に示す通りである。なお、本制度は老人保健制度と各保険者からの拠出金制度の廃止を前提としている。国民各世帯及び1人当たりの保険料の試算は1世帯当たり平均2.66人としていった。健康管理保健で国民の1世帯が負担する保険料は6兆9300億円÷4741万9905世帯約14万6141円/年、月に換算すると約1 万2178円/月、これを1人当たりにすると4,580 円/月となる。一方、専門医療保険については、現行の国保、被用者保険を準用することとなるので、保険料の負担額は年齢や収入によって少なからず差が生じることになるが、本制度では全ての国民が等しく一律に保険料を負担することを原則としており、その原則に則って試算を行うと、6 兆4781億円÷4741万9905世帯=約13万6612/年、月21万1,384円/月となり、1人当たり4,280円/月となる。従って、医療保険全体の負担は平均で1世帯当たり年28万2753円となる。また、1人当たりの保険料は平均で年10万6300円となる。(図6)

 医療の提供側を見た場合、医療機関がどのくらいの比率で専門医療機関あるいは健康管理医療機関を選択するかは、国民にとっても、医療関係者にとっても、最大の関心事となるはずである。本制度は医療機関の数についても、第三者の調整に11 (図6) よることなく市場原理に委ねることとし、国民のニーズがこれを決める仕組みとしているが、さまざまな医療機関の成り立ちと、制度上規定される「専門」と「健康管理」それぞれの医療機関の適性を踏まえ、その数を推計してみた。健康管理医療機関のあり方やその診療報酬の規模、性格を考えると、病院が健康管理医療機関を選択する可能性は低い。一方、一般診療所に目を向けると、産婦人科、産科、婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、放射線科など、既に高度な専門性を有している診療所と、内科・外科の内で、高度な専門性と技術を持つ診療所は専門医療機関を選択する可能性が高い。そこで、厚生省「医師・歯科医師・薬剤師調査」の診療科目別医師数のデータや診療科目別レセプト平均点数とこれを基準とした場合の医療機関数の分布などから、一般診療所の約7割が健康管理医療機関として届け出ると推定した。一般診療所数を8万8000、その7割が健康管理医療機関を選択するとして、健康管理医療機関数は8万8000×0.7 =6万1600となる。そこで1健康管理医療機関当たりの担当世帯数(平均)を求めると4742万世帯÷6万1600≒770世帯、1つの健康管理医療機関当たりの平均担当世帯数は770世帯となる。また、1つの健康管理医療機関当たりの担当人数(平均) は、770×2.66=2048人となる。次に、1つの健康管理医療機関の保険収入を求めてみる。健康管理保険の1人当たり保険料が4,580円で、これより徴収事務費などを差し引き、約4,000円×2048人= 8,192,000円が契約先の医療機関に毎月支払われる。全体を通じて、国にも、国民にも、医療提供側にも無理のない試算といえよう。

●おわりに●


 医療は政事の源流である生命(いのち)の存在そのものに関わるものである。それ故、政事が源流を離れ、歴史の流れのなかで方向性を見誤った時、医療がもつ全人的な心が世の流れを元に戻すことがあっても不思議ではない。我が国が諸外国にも例のない少子・高齢化社会に突入しようとしている今、増え続ける社会保障関係費の問題を棚上げにはできないにしても、それが、恰も医療改革の正当な理由のごとき錯覚に陥ってはならない。政事の源流を確認しながら、あくまで財政に見合う、真に国民を想う改革を進めなければならない。その事は一方で政事の源流を広く国民に知らしめる事となり、国と国民の間に強固な信頼を築き、国の発展に繋がる。これこそが国を医す意味である。国民1人ひとりの生に責任を持ち、その生を支援することは、国の未来を語る上で忘れてはならないことである。本稿において提案する医療制度は、まさにこの生を原点に据えた改革案である。21世紀の我が国の発展に繋がる試金石となることを願い、ここに提言するものである。


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"医療提供体制の抜本的改革"