小泉首相に日本の医療は任せられない (2003. 4. 5) 
                                 
 日本時間で3月20日午前11時30分、米英軍は、米国の対イラク最後通告の期限切れを待ち、イラク攻撃を開始、これに相前後して、ブッシュ米国大統領はテレビを通じ、攻撃の開始と開戦を宣言。
 日本政府は、この戦争に追従、支持の姿勢を早々に表明した。
 多くの国民や野党の反対を小泉首相が押し切る形での米国支援である。
 その根拠に、湾岸戦争時の国連安保理決議678(クウェートに侵攻したイラクへの武力行使容認)と687(大量破壊兵器の完全廃棄を含む停戦条件規定)をあげ、決議1441(2002年の大量破壊兵器廃棄の最後警告)の妥当性を強調。
 国会ではうわべだけの弁明に終始した。
 首相、小泉純一郎の決断の選択肢は幾つかあった。
 彼の脳裡のなかで、国家と個人の立場、強者の理論の受容と拒絶、先見性の見識度といった様々な観点が輻輳したはずだ。
 苦渋の選択であったことは想像に難くない。
 しかし、この決断に至る過程に果して或る種の信念が介在したのだろうか、小泉という人物の政治姿勢を推し量る上で興味深い。
 ただ単に強い者に屈し、長い物には巻かれよの考えだったのか、首相の立場上、長い物に巻かれざるを得なかったのか、はたまた、たかがこの程度の決断に信念云々もなかろういったことだったのか、いずれにせよ、在り来りの政治屋の姿しか見えてこない。
 地球の先々の平和や人類の行方に想いを巡らせ、国の歴史や伝統に立脚して自己の主義や主張を貫くタイプの政治家でないことだけは間違いなさそうだ。
 いまや小泉ばかりか、政・官界をつうじて、夜空に輝く星、あるいは闇夜の灯火といった逸材を見受けなくなった。
 これほどまでの人材不足に何故いたったのか。先の医療政策の方向性を見定めるために考えておくことも必要だ。
 太平洋戦争に敗れた日本に戦勝国アメリカが新たな教育制度を持ち込んで53年が経ったが、この間、誰も制度改正に真正面から取り組まなかった。
 戦後まもなくは復興に追われ、とても教育などに真正面から取り組むゆとりはなかったのかも知れない。ところが、ようやく一息ついて周囲を見渡してみたら、とんでもない世の中になっていたというのが実感かも知れない。
 しかし、教育荒廃の弊害は大きすぎた。
 同胞や子孫、地球のゆく末、人の歴史を思い遣る人材が育たなかったばかりか、自己の主義や主張、信念を貫く人々の育成すら殺いだ。
 その結果、国の行先を左右する国策の場、世論形成に与る報道の場にも人材的弊害が波及し、ますます多くの国民が人の尊厳性を知る機会を狭めた。
 その脱人間性教育が、核家族化、離婚、家庭内暴力、ホームレスといった社会問題を生み、あるべき家族、家庭の姿を崩壊させ、少子化を加速した。
 そして、こういった根深い原因が労働力人口を減じ、高齢者層の面倒を看きれなくなった。
 これが世界一優れた我が国医療制度の崩壊の序章となった。
 そこにつけ込み、人間の尊厳性を持ち合わせない政治家や官僚が、人の生命を営利の糧とし、後世のことは成り行き任せといった米国式社会保障政策を持ちこみ、目先の財政不足を切りぬけようと企んだ。
 悪いことに平和と良い治安に慣れ親しみ過ぎて、長い物、強い者には逆らわず、無関心を装う風潮に毒された国民の存在が一層、事態を劣悪な方向に向けている。
  社会保障の核とも言える医療保障の政策論争に、戦争を正当化し、劣化ウラン弾の使用に対しても真っ向から否定できない男が口を出すべきではない。
 医療保障の原点はあくまで全人的心にある。だからこそ人類愛や自己の心情を発露できないような政治家は早々にこの議論から退散すべきだ。
 いわんや経済学者や財界人と組するような政治屋などは尚更である。
 それがイラク戦争で化けの皮がはがれた小泉の姿だ。
 医療は、国民を心底から愛し、国民あっての政治、国民のための政治ができる人間が真摯な態度で取り組み、可能で望ましい形を決めるべきである。

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