人間社会 (2002. 2.25)                                                  

 万物の霊長―地球上には様々な生き物が生息し、それらは個々に生命を有し、例外無く誕生に始り死をもって終焉する。
 種である生き物は綿々と時を永らえ、長い時間をかけて変異と進化をとげる。
 最も高度な進化を遂げたのが私たちホモ・サピエンスである。
 進化は知識を生み、やがて生命の謎を明かそうとしている。
 しかし生命が持つ思考能力の解明に立ち入る事は、科学的に可能となっても有り得ない。
 それは人間の生命集合体である社会の崩壊につながるからだ。
 この道理は、高等動物だけが有する後天的な能力開発が文化的進化と社会的成熟に関わる中で、行過ぎが社会や地球を衰退に導く事に基く。
 流転―原語は古代インドの梵語で「流れ」を意味し、時に輪廻と訳され同義語として用いられる。
 仏教では生き変り死に変わり、迷いの世界をさすらうといった意味に使われるが、一般的には境遇の変遷を言う。
 万物の霊長である私たち人間は、生命に備る後天的能力の育みにおいて、何らかの偏りを生じると様々な環境変化を強いられる。
 場合によっては境遇の変化に涙することすら起りかねない。
 流転には、それなりの原因が存在する。
 それは人間の中に潜む色々な姿、つまり獣性といった表現で言い表される動物的な本能、あるいは神性といった表現で言い表される慈悲心等々である。こういった姿の存在を自らが知り、常に神性でありたいと願う事、これが育みの過程で求められる教えであり、智慧に通じる。
 人間の進化の究極である。智慧が物事の理を教え、常に適切な判断が流転を避ける。知恩・報恩―人間の尊厳が問われる時、人間しか持ち合わせないものとして引き合いに出されるのが感謝である。
 社会に対して感謝を知り、その感謝に報いること、それが知恩や報恩に通じる。生き、生かされ、生きていること、その認識が感謝に通じ、多くの人々や自然のさまざまな恵み、それら全てが社会のおかげと気付くことが第一歩となる。
 おかげを意識することが知恩に通じ、おかげに対する感謝の念からお返しをと思う心が報恩に通じる。
 元気に生きて健康長寿を全うし天寿を迎えることも報恩である。
 医は仁術―医は人命を救う博愛の道。つまり生命と、生命の育みを踏まえた同類への慈しみが医の基本的精神だ。
 この精神に揺るぎがなければ、医療事故や過誤、介護、少子化、小児虐待、喫煙、安楽死等々、医が抱える諸問題の解決も容易となる。
 なぜなら互いに智慧をもつ者同士が心をあわせて取り組めるからだ。
 私たち医師は、人間を、その生命を、その育みを十分に理解し、全人的博愛心と医の心を併せ持ち、医術と医学を存分に活用して同じ時代を生きる同類に精一杯尽すこと、そして聖職を選び、聖職についたことに感謝すること、それが医師として生き、生かされていることへの報恩である。
 医療改革―改革の原点は、診療報酬の引き下げでもなく、社会保障費の確保でもない。
 真の構造改革とは、「生命の存在」を原点に据えた人間教育と、「医療の限界と可能性」を知ることへの社会的同意である。
 この二点に絞って社会保障改革を進めれば、昨今の医療改革論争など不要となる。
 国の行く末、将来的国民像を案じ日夜こころを傾けている私たち医療人を排除して、目先の医療財源しか見ようとしない国や政府の姿勢に失望落胆を拭いきれない。
 ましてや政府の中核をなす会議に入り込み、利得を得ようと索を練る企業人の存在などは世紀末と言えなくもない。
 百年後に人口が約半分に減り、高齢者がその大半を占めようとしている危機的な時に、悠長に政策を待っていては到底、日本は救えない。
 開業医や勤務医、教育者や研究者、行政関係などと区分せず、あらゆる垣根を取払い、医師会員が心を1つにして、医師の智慧と仁心をもって世直しに取り組む時、それが今ではなかろうか。

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