二人の医師の死  (2001. 9. 5)                                             

 とある都市の総合病院の外科医局であった話である。
 その医局の医長が二名、さほど時を経ずして相次ぎ亡くなった。
 いずれ劣らぬ腕と頭と心を持ち合わせ、ともに地域医療においてはだれもが一目置く申し分のない外科医であった。
 先に逝ったO医師は、三十数年にわたり一般外科を専攻し、メスを持ち続けたベテランである。
 ある時、乳房腫瘤を訴え、外来を訪れた女性に後日の精査を指導した。
 しかし、再び女性がO医師のもとを訪れたのは、不幸にもそれから数年後のことだった。
 腫瘤は一目で分かる立派ながんになっていた。直ちに手術が行われ、術後に化学療法と放射線療法が追加された。
 それにもかかわらず病態は進行し、やがて転移が起こり、上肢も浮腫で著しく腫れ上がった。
 女性は、すべてに適切さを欠いたとして、O医師を連日責め続けた。
 外科医として誠心誠意を尽くし、努力した結果がこれである。浮腫も腋下のリンパ節廓清に外科医の腕を揮えば揮うほど起こりやすく、完治を願って放射線療法を併施すれば、なおさらのことである。
 救命とは、この場合そういう行為を行うことだ。
 しかし、連日の激務に加えて執拗な責めに堪え切れなくなったO医師は、いつものとおりに勤めを終え、帰宅後、ひっそりと自尽した。
 O医師の跡を継いで医長となり、先輩の死を悼み涙したのがY医師である。
 葬儀後は、連日休む暇もなく多忙を極めた。
 だが、長くは続かなかった。
 肝臓病である。肝臓外科を専攻する彼は、没頭のあまり、手術中、肝炎ビールスに感染していた。
 気付いた時はすでに肝硬変であった。
 周囲に病のことを一切告げず、クリスチャンだった彼は、自ら葬儀ミサの段取りを行い、死の前日まで職務に励み、神に召された。
 苛酷な労働条件のなかで自らの犠牲をも顧みず、ひたすら地域医療のために尽くし、医療の原点を見失わなかった医師の姿は当然といえば当然だが、医療改革議論のなかにおいては、決して忘れてほしくないものである。

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