医者の匙(さじ)加減は不要となるのか  ―電子カルテの行方―  (2001. 2. 5)                

 国は、昭和二十三年施行の医師法(第二十四条)および医療法(第二十一条、第二十二条)と、昭和三十二年施行の保険医療機関および保険医療養担当規則(第九条)において、診療に関する記録(以下診療録)の保存を義務付けた。
 その後、昭和六十三年、診療録作成にコンピューター入力を、そして平成十一年、診療録保存に電子媒体を認める通知をそれぞれ発出した。
 厚生省健康政策局医事課・同研究開発振興課医療技術情報推進室は、診療情報の電子化に踏み切った理由として、患者の利便性の向上、業務の効率化、医療の質の向上を挙げ、一層の推進が今後も必要と説明。
 ところが、この電子媒体に保存されるカルテの記載を或る規格に合わせ、さらに地域毎に特定の医療機関で保管し、医療機関が相互に情報ネットワークを介して利用しようといった話が浮上し始めた頃から、この電子化の流れもきな臭くなってきた。
 実は、カルテの一元管理化については、レセプト電算化とデジタル審査の議論が始まった二十数年前から続いており、一元管理にはカルテの電子化と定型化は不可欠と理解されてきた。
 そこでカルテの電子化と電子保存に続いて、厚生省は電子カルテの定型化をめざし、財団法人医療情報システム開発センター(厚生省と通産省共管により昭和四十九年設立)にその開発を委託し、同法人はこれを受け、平成十二年三月、「電子保存された診療録情報の交換のためのデータ項目セット第一版」を公表した。
患者一人あたり一五四頁、計一六一六項目から成る膨大な事項を大分類十六項目で区分し、出生時の両親、本人、家族の身体状況から、本人の家庭環境、学業、習慣、性格、宗教、趣味、障害、感染因子、アレルギー因子などを幅広く網羅し、カルテの標準化を図っている。
 カルテとは本来、医師と患者の信頼のもとに行われる診療を円滑に進めるための医師のメモである。
 限られた時間のなかでは到底、思考過程の全てを書き表し、残すことは出来ない。
 仮に、記載できたとしても、コード化された病名、検査、処置、薬等で医療の実態を遺漏無く正確に表わすことは困難である。
 いわんや、わが国の医学研究や医療政策の立案根拠の資料にもなりかねないカルテが定型的な記述のみに終始すれば、誤った解釈の誘導にも繋がりかねず、そこから生まれる医療は一段とその危険性を増すことになる。
 平成十三年一月、この標準化された電子カルテの使用を前提とした地域医療情報化のためのネットワーク化推進事業が公募された。
 補助金を用いた政策的誘導である。
 先の財団法人は標準化された電子カルテの地域共有による医療上の効果の一つに、臨床事例のデータ収集によるEBM(根拠に基づく医療)の推進をあげている。
 つまり、標準化した電子カルテの共有データを基に平準化医療の推進を公言している。
 EBMと同様に厚生省健康政策局が医療審議会に出した「医療提供体制の改革について」の中に、「Clinical Pathway(=Critical Pathway)等について検討を進め…云々」との記述もあり、今後一層、医療政策は原価管理の方向に進む。
 平成十年十一月から全国で一〇の国立病院・社会保険病院で試行されている日本版DRG(診断群別分類)―PPS(包括支払い方式)などもこの政策の一環である。
 厚生省の健康政策局長は二〇一〇〜一五年をめどに第四次医療法改正以降の医療提供体制および診療報酬体系の見直しと確立について開陳した。電子カルテに始まる原価管理の推進と、その先にある医療費の包括化、そして医療の機能分担に基づく枠組みの再編は、一〇数年後に医師や患者を含む国民に何をもたらすのだろうか。
 医師の場合、医師の裁量権の剥奪や、統制医療の枠組みへの組み入れは想像に難くない。特に包括化を避けて通れないかかりつけ医は、ファミリーレストランのレシピのように、匙加減が全く許されない医療と、患者の数だけを競わされる診療を強いられ、病院の勤務医は、厳格な縦割りの中で今以上に狭い専門領域にはめ込まれ、コーディネーターに手配された患者をレシピ通りに治療し、専門領域のみに限られた匙加減に僅かな生甲斐を見出すことになる。
 一方、国民はといえば、フリーアクセスを制限され、紹介の無い病院は受診出来ず、かかりつけ医への受診に際しては、EVIDENCE(根拠)とは成り得ない開業医の膨大な経験や知識に基づく匙加減を受けられなくなる。
 つまり全ての国民が包括化の中で切捨て御免の平準化医療に甘んじることになる。一人一人の顔や体質に合わせたオーダーメイド医療が叫ばれる時代にイージーオーダー医療が推進されようとは何とも不可解な流れである。
 二〇一五年をターゲットにして提示された日本医師会の医療のグランドデザインも、国が推し進める標準化電子カルテの地域共有化の進捗状況によっては俎上の露と消えかねない。
 そのような時に、国に対峙する形で医師会医療情報ネットワーク(ORCA)構想が推進されるとは解せない話である。
上杉謙信の塩送りと解すにしても、国民が強いられる犠牲の大きさを深慮するなら細部の再度検討も必要ではなかろうか。

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