進むを知りて退くを知らず ‐医療の情報化  (2000.10.25) 

 小渕恵三前首相の後を受けて発足した森喜朗内閣も第一次、第二次と組閣を終え、早や六ヶ月が経過した。
 発足当初、某通信社による緊急世論調査の内閣支持率は二七%と、細川内閣以降の過去最低を記録、不支持率も六二%と過去最高であった。
 同じ頃、某新聞社による、新内閣に期待する政策アンケートでは、景気対策、雇用確保、社会保障(医療、介護、年金等)の充実に要望が集中。
 財政構造改革、教育改革がそれに続いた。
 この大衆の声を踏まえ、難局を乗り切るには、首相自らが目に見える形の指導力を発揮し、評価できる景気対策や社会保障政策などを広く国民に示すより他はない。さもなくば新内閣が存続するのは難しい。
 そこで森首相が打ち出したのが、日本新生プランである。
 情報化、高齢化、環境対応、情報技術(IT)関連の人材育成、福祉・介護分野などに、「日本新生特別枠」と銘打ち予算を計上、国策の流れをつくると共に、その流れの方向に投資を集中させようとする企画である。
 当面は増税を抑え、消費が上向く環境づくりに努力しつつ、その中核にIT政策を置き、経済発展の起爆剤にしようとするもくろみである。
 平成一三年一月の中央省庁再編に合わせて、専任閣僚としてIT担当相を新たに設け、高度情報通信社会推進本部を「IT戦略本部」に改組し、有識者によるIT戦略会議を併置、その一方で従来の経済戦略会議、産業競争力会議を排し、「産業新生会議」を創設、さらには規制改革の為の計画策定を行う意向を明らかにした。
 しかし、IT関連投資が赤字国債の返済に見合うほど多分野に亘り景気浮揚の牽引役を果たせるかどうかは今後の展開にかかっている。
 こういった背景のもと、一三の重点事項を掲げた平成一三年度厚生労働省概算要求は編成された。
 第一の「豊かで活力ある長寿社会に向けた総合的戦略の推進〜メデイカル・フロンテイア戦略の推進」を筆頭に、各事項分も含めて、医療に関する情報の収集・提供のための基盤整備、最新情報を共有するがんネットの整備、ITによる医療提供体制の整備など、IT関連は五〇億円弱の予算を計上。
 また平成一二年度厚生省補正予算では、「IT革命の推進、高齢化への対応を始めとした日本新生プランの具体化」を全面に謳い、病診連携・救急医療等の地域医療における情報化の推進、オーダリング等院内情報システムの整備促進、光ファイバーを活用した医療情報ネットワークの推進、国立病院における電子カルテ化の推進等で計四五五億円を要求。
 国が医療の方向性を示し、医療の質と量を確保することは当然の責務である。
 それなら医療における情報化推進の意味や目的は何処にあるのだろうか。
 医療は、そもそも医師と患者、相互の信頼関係のもとに交わされる契約に端を発する。
 この契約には、当然ながら医師の守秘義務と、患者の個人情報保護が含まれる。
 第三者の入りこむ余地の無い、至極当然な関係にある両者の間の診療情報に、ITは何をもたらすのだろうか。
 仮にITが医療の量に係るとすれば、医療の効率アップ、即ち迅速化、簡便化、省力化に、医療の質に係るとすれば、医療内容の正確性、記録性、保存性、適正性、安全管理性の向上に寄与するだろう。
 また医師の医学的知識や診療技術に係る情報収集にも有用となろう。
 唯、何れも、医師が診療録を完全な形で整理、保存し、十分な医学的研鑚をもって診療を日々確実にこなしているとすれば、ITは不要である。
 厚生省は、医療提供体制の整備と、医学の学術的発展にITは不可欠との見解を示し、積極的な推進策を打ち出している。
 しかし情報の漏洩阻止や、正確性確保の問題が完全に解決されていない現状において、個人のプライバシーに関わる診療情報を国が政策的に扱おうとすることの誤りは火を見るより明らかである。
 本来、医学的見地から必要となる学術目的の情報化は、あくまで医師が高い見識と倫理的な判断をもって進めるべきものだ。
 目の前に何か面白そうで、何かに使えそうな道具があるから医療にも使ってみようかでは、信頼のもとに医師を受診した患者に対し、申し訳無く、礼を失することにもなりかねない。
 医療の原点を見失うことなく、国主導の政策にも左右されず、引き返し可能な内に医療の質や量の確保につながるIT活用の道筋を検討することが急務であろう。

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