に求められる健康政策―骨抜きとなった「健康日本21」  (2000. 3. 5)          

 厚生省は、個人と社会の力をあわせて一人ひとりの健康を改善し、一〇年後に設定した目標値達成に向うとする健康政策を、「健康日本21」と銘打ち、策定を急いでいる。
 この政策の立案において想定される課題は、カナダ、アメリカ、イギリス等の欧米諸国で既に展開されている健康政策実施に習うこと、そして、一九八三年から続けられてきた基本検診の充実、疾病の早期発見・早期治療、生活習慣の改善など、一次予防対策の強化を図り、一方で高齢化に伴って高騰しつつある医療費の抑制を期待するものである。
 従って、当然ながらわが国の国民の死因から類推される疾病、或いは疾病の背景となる原因を改善する方策が検討対象となった。
 厚生省大臣官房統計情報部の平成十一年度死因順位別死亡数によると、第一位は悪性新生物、第二位は心疾患、第三位は脳血管疾患であり、なんと一位から三位までの疾患が死因の六割近くを占めている。
 そこで、「健康日本21」の企画検討は、一位のガンと二位、三位の原因となる動脈硬化の予防に主眼がおかれた。
 つまり、生活習慣面の改善を一層促し、最終的に死因別死亡数を或る目標値まで減じようとする啓発的政策である。
 しかし、この種の啓発は、すでに全国津々浦々の医療機関で、医師が毎日、声を大にして語り、必要な場合は治療も行っているところである。
 だからこそ、我が国は世界一の長寿国になったのであり、このことに誰しも異論は無いはずだ。
 今さら改めて目標値を掲げ、政策として策定する必要もない。
 それでも必要があるとすれば、それは医療機関を身近な存在と感じず、健康を過信している人々に対する啓発である。
 よしんばそういった人が多いから策定動機は時宜に適ったものだとしても、その評価を考えると、プロパガンダ的な実の無い政策より、保健教育の制度的見直しや、国民の健康を維持、増進させる具体的政策の方がやはり現実的ではなかろうか。
 今さら特に目新しくもない「健康日本21」を策定するより、医師による保健活動を今以上効果的に機能させる方策を講じることの方が将来的に有効であり、大切なことであろう。
 それはそれとして残念なことは、「健康日本21」の原案の中で、唯一つ医師の保健活動を側面から支持する具体案として期待されていた「禁煙の勧め」が最終案で後退を余儀なくされたことである。
 厚生省の原案通りであれば、まだしもこの政策は意味あるものであったかも知れない。
 それが議論の過程で、原案に明記されていた喫煙率の低下目標が削除され、実質的に骨抜きとなった。
 ガン、動脈硬化、肺気腫、加速される老化など、明らかに毒でしかない煙害を廃絶して、若年者の健康維持、増進を図り、元気印高齢者を増やそうとすることこそ、本来、健康政策と呼ぶに相応しいものである。
 国や地方の税収減と煙草の関連産業の死活問題等、多難な問題を抱えていることも事実であるが、国民の健康を守る立場にある国は、その責任において禁煙の法制化を避けて通ることはできない。
 受動喫煙を含む喫煙にかかわる疾患を一掃することは、医療経済的にも、政策的にも決して誤った選択では無かったはずである。
 高齢者医療保険を含めた医療制度改革や老年病学における議論の中で、元気印の高齢者を如何に増やすかといった問題は度々浮上する。
 生者必滅は当然の理であるが、必滅の姿はあまりにも多様である。
 この多様さは、遺伝子に秘められる内的要因と、外的な、つまり生活習慣上の要因により決定されることはよく知られた事実である。
 いわゆる長寿グループの最期における就床期間は短く、また、このグループでは飲酒や喫煙の習慣をもった者も少ない。
 「健康日本21」に国民が真に期待するものは、欧米に習ったものでも、絵に描いた餅ならぬ健康政策でもなく、真に長寿国日本を守っていける政策ではなかろうか。

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