少子化  (1999. 9.25)                                                   

 一九九四年(平成六年)十二月に文部、厚生、労働、建設の四大臣合意により「今後の子育て支援のための施策の基本方向について(エンゼルプラン)」が策定された。
 これに基づき、子育てと仕事の両立支援、家庭における子育て支援、子育ての住宅および生活環境の整備、ゆとりある教育と健全育成の推進、子育てコストの軽減を柱とし、関連省庁との合意をもとに種々の取り組みが推進されている。
 一九九四年の大蔵、厚生、自治の三大臣合意による緊急保育対策等の五か年計画や、一九九七年(平成九年)の児童福祉法の改正による利用者本位の保育所選択および児童自立生活援助事業、一九九八年(平成十年)の就労促進支援事業の開始等がそれである。
 母子保健の面からは、社会的不安を取り除く目的で、生殖補助医療技術と出生前診断に関するガイドライン策定や、乳幼児突然死症候群(SIDS)の予防のための啓発活動が続けられている。
 厚生省は近年の少子化の主な要因は晩婚化の進展と結論づけ、結婚後の出産・育児を困難にしている社会経済的・心理的な制約が原因であるとしてこの排除を目的としたプランを立案し、現在、その評価に期待を寄せている。
 国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(一九九七年一月推計)」によると、我が国の総人口は二〇〇七年(平成十九年)の一二、五五七万人をピークに以後漸減し、二〇五〇年(平成六十二年)には一〇、〇〇〇万人、二一〇〇年(平成百十二年)には約六七〇〇万人になると予測されている。
 昭和初期の人口数まで減少するとの予測は其の先も減少傾向を示している。
 総人口に占める高齢者の割合は一九九七年(平成九年)に一五・七%であるが、二〇五〇年には三二・三%と、半世紀後は国民三人に一人が六十五才以上と試算されている。
 この予測は合計特殊出生率(女子の十五〜四十九才の年齢別出生率の合計で、一女子が一生の間に産む子の数)に基づいているが、少子化は歴史的にみても顕著であり、厚生省大臣官房統計情報部「人口動態統計」における出生数でも一九四九年(昭和二十四年)の二七〇万人をピークに、一九七三年(昭和四十八年)の二〇九万人、一九九七年(平成九年)の一一九万人と減少している。
 一九九八年(平成十年)の合計特殊出生率は一・三八であり、既に人口維持に必要とされる水準(人口置換水準)の二・〇八を大きく割り込んでいる。
 当然、このまま進めば伝統的な日本はいずれ消滅する。子供が少なくなり、年寄りばかりが日本に溢れる。
 まさに国の存亡の機である。この期に及んでエンゼルプランの内容のみとは政府も無策、無能の謗りは免れまい。
 国の施策が現実路線として短期にならざるを得ないことは止むを得ないとしても、飽く迄、求められる国策の重要度による。場合によっては長期的展望に立った政策も必要となろう。
 我が国が移民の受入れによる多民族国家を目指すか否かの議論は別として、人口問題への対応策は国家の姿勢を窺う基準であることも忘れてはならない。
 政策の決定において、課題設定を誤ると失政につながる。
 ぼちぼち少子化の真の原因が戦後教育の失敗にあったことを政府も気付くべきではなかろうか。
 一九四七年(昭和二十二年)四月に教育基本法が占領下で施行された。「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。
 この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊重を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」―なんと理想的な、新生日本に相応しい教育の基本姿勢ではなかろうか。
 しかし現代に生きるベビーブーマー達の果たして何割がこの教育に反映された人間に育ったのだろうか、疑問である。
 少子化を迎え、歴史ある国の将来的発展を願い努力することに遅くはない。
 まずは家庭内の秩序の見直しであり、社会全体がマスコミや職場を通して人間教育に参加することである。
 その上で、結婚、出産、保育、学校、文化、宗教、報道、衣食住等々の子育てに関わる環境の見直しや整備が功を奏する。
 高齢者福祉を論じることも不可避であるが、今から先を生きる世代を考えることも避けては通れない。

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